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jimmy chamberlin が約2年半振りに、zwan として来日しました。考えてみればこのサイトで彼の来日をお迎えするのは初めての事で、御本人にこのサイトの存在も知っていただいているわけですし何かメッセージでもいただければ…と思い、来日中たまたまお会いできた時に「話をちょっと聞かせてもらえませんか?」とお願いしたのがこの interview の始まり(?)です。快諾いただいてから、慌ててインタビューシートを作成したのでハチャメチャな内容なのですが、大変貴重なお話が聞けたと思います。来日中、jimmy は日本の rhythm & drums magazine のインタビューも受けたそうですが、それが発売になる前にこれをアップできる事をちょっと喜ばしく思ったりもしています(笑)。 元々インタビューというより「一問一答」をイメージしていたので、内容の繋がりが悪い部分もありますが、ご了承ください。




JIRO(K) : (日本語で)宜しくお願いします。

Jimmy (J) : Good Evening.

K : Welcome back to Japan. 日本でのショウはいかがでしたか?
J : ショウはすごく良かったよ。思うに、前よりも良かったな。 pumpkins でここに最後に来た時よりも今回の方が良かったね。前よりも曲がいいし、ミュージシャンも前よりはいいからね。だから前よりも全然今回の日本滞在の方が楽しめたっていうのは、きっとバンドが前よりもいいからだよ。 pumpkins よりずっといいね。

K : 日本とアメリカのオーディエンスの違いって何だと思いますか?
J : 日本のオーディエンスの方がもっと注意深いよね。注目してくれているし。思うに、日本のオーディエンスはショウを見るために会場に来てるんだけど、アメリカのオーディエンスはパーティしに来てるんだよね。アメリカの人達の殆どはね、ショウに来るのは、会場に沢山の他の人達が来ているからであって必ずしもバンドがそこにいるからってわけじゃないんだよ。日本の人達っていうのは、みんなバンドを見るために会場に来ているんだと思う。聴衆を見てれば分かるよ。みんながもう一点を凝視している感じだね。みんなすごく注意深く見つめているし。

K : ヨーロッパはどうですか?
J : ヨーロッパはね、その中間って感じかな。ヨーロッパは日本とアメリカの中間って感じ。ヨーロッパの南の方の人達っていうのはどっちかっていうと注意深い感じだな。イタリアとかスペインとか南フランスとかさ。ベルギーとかドイツとかそこら辺になるともっと西洋化(=アメリカナイズ)されている感じがするね。

K : pumpkins の頃の話を。メトロでのファイナルショウの後、どう感じましたか?
J : ほっとした(笑)。えっとね、その6ヶ月前にはもう解散を決めていたわけで、それってね、車を運転していて、なんかどっかで事故るってのは知ってたんだけど、ただそれがいつなのか全然わかんなかったみたいな感じかな。( pumpkins の活動は)良かったし、凄く正しいことをしていると思っていた。そしてそのまま活動を続けていたら、何らかの理由 - お金の理由とかで、 aerosmith みたいになるのかな…とも感じてたんだよ。 pumpkins の活動を止めて、自分自身に挑戦を課して、なんかよりよいものを生み出すために全然別のバンドをやってみるってのは凄くいいことだよね。なんでかっていうと…… pumpkins でプレイしていた連中と顔を合わせるのもだんだんつらくなっていたし、それというのは、もうどこかに行ってしまうって分かっていることに対して執着しているような感じがしていたからなんだ。それで自然な感じで終わった。こういう関係っていうのは、音楽の終わりを意味しているけど、だからってそれは何か新しいことを始めることの終わりを意味しているわけじゃないよね。 billy ( billy corgan )と自分は、新しいバンドを始めるのにはまだ十二分に若かったし、そのまますべてのことをやめてしまうと考えるのはやめたんだ。少なくともそうしたかった。 pumpkins の中にいると常に自分達は pumpkins でいなければならなかったけど、常にそうしていることは自分たちにとって非常に疲れることだった。その状態を解いて、自分達を最初から作り直す作業をすることによって、自分達は新鮮な音楽を生み出すことができたんだ。もし pumpkins に留まっていたら、まずは今やっているバンド( zwan )のような才能に恵まれることはなかったよ。それに多分今作っているようなものをクリエイトしようと努力さえしなかったんじゃないかな。なんでかっていうと、その時のバンドの人達はそんな自信も持ち合わせていなかったからさ。……答えが長くなっちゃってごめん。

K : pumpkins の後、すぐに billy と音楽を作り始めたんですか?全然期間を置かずに?
J : その最後のショーを終えた時に、 billy と握手して、これから1年間は音楽をやらないよね、って言ったんだ。「1年休みを取って、それから電話するから」ってことにしたんだ。だけどそれから3ヶ月もしたら、俺は billy に電話しちゃって、そこで俺は「マジで退屈なんだよ」って言ったんだ。3ヶ月もプレイしないってのは長すぎるよ。だから俺達は matt sweeney を誘うことに決めてさ、ある街のスタジオに駆け込んだ。考えてた事は、ただ出掛けて、そんでもってプレイするためにいくつか曲を書いてっていうぐらいしかなかった。 そしたらこの3人の間にすごい化学反応を感じちゃったもんだから、「バンドをやろうよ」って言い合ったんだよね。再出発しようって感じさ。作ってみた曲をまた違うレベルにまで持っていこう、曲を書き続けて演奏し続けて、バンドの結束を高めて、それでどうなるか見てみようとしたわけだ。そして、それから3ヶ月したらライヴをやれるぐらいの状態になったんだ。でも、うちらはこの3人しかいなかったから、 matt が david pajo にベースをやってもらうのがいいと提案してくれたんだよ。 david がベースをプレイしに来たときってのは良かったねぇ。自分達の間にもの凄い、本当にもの凄い化学反応を感じたよ。でも david っていうのはもともと凄いギタリストなわけだから、ベースを担当してもらうってのは勿体無いような感じだったんだよね。だってギタリストにベースをやってもらうってのは、必ずしもいい考えとは言えないからね。ベースだけやるような人達を探した方がいいんだ。そして去年の2月になってようやくオーディションをやったんだ。(数えながら)12人のベーシストをロサンゼルスでオーディションした。みんなプロのベーシストで、たとえば、suicidal tendencies の人とか。他にも色々なベーシストが来たけど、いいベースプレイヤーだったよ。そしたら sweeney が paz (lenchantin) と連絡を取って、俺たちとジャムってみる事に興味があるかどうか聞いてみたんだ。だってその頃はまだ彼女は a perfect circle にいたから。そしてついにフロリダのキーウェストで落ち合ってプレイしてみたんだ。そしてその1週間後ぐらいだったかな、paz も含めてみんなでバンドをやっていこうと決めたのは。でもそれは paz を a perfect circle から引き離すことにもなったわけだけどね。それは、 paz にとっても決して手放しで喜べることではなかったと思うよ。 a perfect circle は paz にとって重要なものだったわけだから。 paz は a perfect circle にいることに関しては満足してたと思うんだけど、曲を書いたり歌を歌ったりっていう機会には恵まれてなかったんじゃないかな。だからあんまり楽しくはなかったのかもしれない。……って長い話だね。

K : a perfect circle のアルバム持ってますよ。 paz の事も知ってたし。
J : うん。連中は結構いいよね。

K : paz が a perfect circle を辞めるって噂は聞いてたんですけど。みんな paz が a perfect circle じゃなくて zwan を選んだってことは知らないんですよ。
J : 彼女が a perfect circle を辞めて zwan に加入した事をみんな知らないって事? a perfect circle は、やりたい時にやるって感じのバンドだったからね。 zwan はちゃんとした一つのバンドとしてやっていくし、飲んだり寝たりってのも一緒だし、音楽も常に毎日やるってことで、それが paz にとってはすごく魅力的に思えたんじゃないかな。バンド内のミュージシャンシップは別として、集まってみんなでソングライティングもやるしさ。「ここに曲はもうできているから、あんたにはこんな感じでやってほしいんだ」って感じのものとは違って、彼女にはもっと貢献できるだけの能力は持ってるし、 zwan ではまず曲のゆるい概観だけを整えて、それからみんなで考えていくって感じだから、それが paz にはアピールしたんじゃないかと思うよ。実際のところ、 paz はメロディを書けるし、それに応じて billy は曲を書けるって感じで、みんなで色々話をしながら楽しくやっているよ。いつも一緒だしね。 paz にとっても、バンドのみんなにとってもすごくいい機会だと思うんだ。バンド全員が新譜の中で何かしら書いてるしね。 billy howerdel が全てのマテリアルを書いて、それをただみんなにどう演奏すればいいか伝えているってだけの a perfect circle とは違うから。

K : matt sweeney と billy は古くからの友人なんですよね。
J : matt と billy と俺とはかなり古くからの友人だよ。89年に billy と俺が matt にニュージャージーで初めて会った。俺たちは「マックスウェルズ」っていう所でプレイしてたんだけど、matt は当時すごく若くってさ。確か matt は20歳だったと思うんだけど、当時の奴は skunk ってバンドをやっていて、俺と billy にデモテープをくれたんだ。俺と billy はそれを聞いて、もう完全にぶっ飛んだね。俺達一緒のバンドでやらなきゃだめじゃん、って sweeney に言ったのさ。それから暫く連絡取ってなかったんだけど、 pumpkins を解散した後、 billy がたまたまニューヨークで彼と出くわしたってわけ。それで billy は matt をジャムに誘ったんだよ。… matt とはずっと知り合いなんだ。15年間も知り合いなんだよ。 俺達がニューヨークとかニュージャージーに行った時には必ず matt の家に行って、奴の地下室でジャムったりしたもんだよ。だから俺達は13年とか14年前にプレイしてたっとことさ。俺達は matt とバンドをやってみたかったし、彼もずっと俺達とプレイしたがっていた。だから、 billy が matt sweeney を捕まえて、89年に戻ったみたいな感じでジャムれた時には、夢が叶ったって感じのもんだったよ。matt は凄く才能に溢れているし、奴は物凄い、物凄い、物凄いギタープレイヤーなんだから。

K : matt sweeney に初めて会った時にはどんな印象を持ちましたか?
J : 俺が奴に会った80年代ってこと?いや、ただ才能に溢れたガキだと思ったね。再会した時には、ただ才能に溢れたオッサンだと思ったけど。(笑)冗談だよ。

K : 初めて matt と billy と音楽を作り始めた時、何曲ぐらい録音したんですか?
J : 12 ぐらいかな。12曲ぐらいから始めたね。で、その時はちょうどまさに作業中って感じの時で、ソルトレイクシティーでプレイした後で、レコーディングのためにニューヨークに行こうって考えてたんだ。俺達3人だけでニューヨークへ行って、曲のデモをちょっとやってみて、なんか曲のいい部分を引き出そうとトライしてみた。そしてちゃんとしたプロフェッショナルなスタジオに行って、 billy と matt と俺とでそれらの曲をレコーディングしようとしてたのさ。そして俺はサンディエゴにある自分の家から、ニューヨーク行きの飛行機に乗ろうとしていたちょうどその時、例の 9.11 が起きたんだ。だから俺はサンディエゴからシカゴまで車を運転しなくちゃならなくなって、レンタカーを借りてシカゴで自分の車を拾って、そんでニューヨークまで俺の友達を乗せて行かなくちゃならなくなったんだ。なにせその時( matt と billy は)2人ともニューヨークにいたからね。だからちょっと心配だったよ。で、俺はシカゴからニューヨークまで一晩かけて運転したよ。10時間15分かけて到着したわけだから、かなり速い運転だったよね。でもその後すぐに作業に取り掛かった。事件が起きてから5日後にはニューヨークで再度作業に取り掛かっていたんだけど、そん時ってすごく変な感じでさ。あっちこっちの街角には陸軍がいて、軍のジープが走ってたからさ。ニューヨークではほんと色々楽しましてもらってたけど、あんな監禁状態は見たことないよ。みんなちょっとおかしくなってたしね。だから音楽を作るのにはちょっと微妙な時期だったけど、でもあの緊張感と疑心、そして一種の恐怖感とよどんだ雰囲気ってのは、俺達の音楽に幾分か反映されているような気がするな。音があんなに高揚感と幸福感があるのは、きっともう長くは生きられないかもって思うと、たとえば戦争が起こるとかってなると、人生を当然のことのように捉えていた時よりも、人生というものをもうちょっとだけ余計に祝福してみようってことを学ぶからじゃないかな。人生というのはとってももろいもので、いつ終わるともしれないものだって分ると、人生で良かった出来事をお祝いしたくなるだろ。自分の経験の中でよかったと思える部分について考えるってのはいいことだよな。

K : 最初の zwan のショーのことを覚えてますか?
J : billy と matt と俺の3人だった時のことかい?そりゃぁもう驚きだったよ。つまりさ、新しいバンドを始めたばっかりの頃っていうのは、期待なんてものは全くないわけだよ。ちょうど目の前にある水がどんな感じかを調べているみたいなもんだよね。プールに足を突っ込んでみて、その水が熱いかどうか見てみる感じだよ。つまりさ、そんな感じのリラックスした雰囲気に溢れていたんだ。今じゃレコードも出したこともあってちょっと緊張感があるし、期待にも応えなくちゃならない。でもその時は、本当に期待されていることは何もなくて、ただそこに新しいバンドがいただけ。 zwan はみんなの音楽性から成り立ったっていうよりむしろみんなの人間性が寄り集まったものと言えるんじゃないかな。君に誰か知り合いがいたとして、その人がミュージシャンかどうかってことには無関係に、その人がどんなミュージシャンであるかどうかは自ずと分かるもんなんだよ。例えて言えば、俺の妹はミュージシャンじゃないけど、彼女が楽器を弾いたらどんなミュージシャンになるかは想像が付くって具合にさ。それは david と matt と paz と billy にも当てはまることで、どんなエモーショナルな結果がその4人から導き出されるかは俺には分かるんだ。だからそんな人達とプレイするのはすごく楽なことだし、心と魂から生まれた音楽的関係を築くのは容易なことなのさ。みんな一緒にいる一番の理由はみんな友達だからなんだよ。それにみんな音楽的天才達だから本当に幸運だったね。

K : ステージとレコードとでは何かプレイに違いはありますか?
J : あるよ。レコードはみんな否応なしに聴かされるだろ。だからレコードを聴いている時には、みんな集中して聴いている。でもオーディエンスを前にしてプレイしている時っていうのは、必ずしもみんなに注目されているわけじゃないだろ。だからちょっとハードにメリハリを付ける必要があるんだ。そのダイナミックスがレコードにあれば、でっかいショウでもそのダイナミックスを発揮することができる。だから、ショウっていうのは、聴いても楽しいし、観ても楽しいものにしなくちゃならないわけだ。 billy はスタジオでそんなことをやるのはあんまり好きじゃないみたいだけど。

K : レコーディング方法についてなんですが、 pumpkins と zwan では何か違いがありましたか?
J : 決定的な違いは、みんな自分のパートを演奏してたってことかな(笑)。すごく楽だったのは、俺が仕事をかつて一緒にやっていた連中とは違って、自分が親友の中の1人だってことを実感していたからだと思う。以前話したように、 zwan での労働には愛があるけど、 pumpkins での労働はただの労働だった(笑)。

K : あなたのドラムプレイなんですが、 pumpkins 時代から何か変わりましたか?
J : うん、ちょっとだけね。 zwan ではちょっとだけオープンにプレイしたかな。レコードを作る時にあったビジョンというのが、ドラムをリード楽器として捕らえるような感じ、つまりちょうど顔のまん前に定位させるような感じだったんだよ。そしてギターとメロディーをちょっと横に置いておくような感じさ。だから脇役に徹するというんではなくて、流れるようにプレイする中で、そのビジョンに合うように懸命に叩きながら、もっとドラムを中心に定位させるように心掛けたんだ。 pumpkins では、曲の後ろの方でプレイしていたけど、 zwan では逆に曲の前面に出るようにプレイしているんじゃないかと思うよ。

K : アルバム mary star of the sea の曲をレコーディングしている時、難しかったことは何ですか?
J : 面白いことに、みんな狂ったように激しいドラミングが入っている MSOTS のような曲をやるのはすごく難しいように思ってるみたいなんだけど、実はそれって俺がレコードの中でプレイした中で一番簡単なやつなんだよ。ただ単に限界も制約もないからね。基本的に、ドラムセットに座ってただクレイジーに叩きまくってただけなんだけれど、それって俺が最も得意とすることなんだ。そんな風にやるなら一晩中だってプレイし続けられるよ。 el sol とか honestly 、それからもっと抑制されたような曲があったんだけど、クリックを使わなかったもんだから、すごく難しかった。なぜかっていうと pumpkins ではそんな感じの8ビートを追求したことはなかったからね。そんなのは pumpkins でやったことがなかった。やったとしても、いつもドラムマシーンを被せてたからね。だからそういうのを生でプレイするのは自分にとっていい経験になったよ。( rolling stones の) charlie watts みたいにシンプルなタイプのプレイを経験しながら学習していくいいきっかけになった。 come with me と el sol がそんな風に聞こえるやつなんだけど、その2つの曲がたぶん一番大変だった曲なんじゃないかな。 honestly は簡単だったけど、 mary star of the sea や world goes around ( ride a black swan の事)、そして endless summer なんかが最も簡単だったかな。なぜかっていうとそれが俺のいつもやっているプレイだからさ。それにこんな感じの単なる4ビートのような曲もプレイしたことがなかったな(…と言いながらドラムを叩く真似をする jimmy )。それって自分にとって新境地を開くようなもんだったね。

K : 私はあなたの ride a black swan でのドラミングが大好きです。グルーヴは完璧だし、リズムは完璧だし、構成は完璧だし、フレーズは美しいし…。
J : ありがとう。その曲はね、ドラムに腰を下ろして、むしろ自然なリズムとともに出来上がった感じだったんだよ。 pumpkins 時代にはそういった感じのプレイはしたことがなかった。例えば tonight, tonight みたいな曲だともっと入念に準備されていて、ドラムの音も至る所から聞こえてくるだろ。だけど単にバックビートを叩くっていうのは、自分にとってすごいチャレンジだったんだ。テンポがここにあるとすると、そのテンポの前後にはすごいたくさんのエモーションが存在しているんだよ。ちょっとでもテンポが走ってしまうと曲は出しゃばった感じに聞こえるし、ちょっとでもテンポが遅れると曲は怠惰な感じに聞こえてしまう。だから、ボーカルの情感とぴったり合うような、完璧なリズムを見つけ出すってことが、俺の引き受けた役割だったんだよ。

K : MSOTS の曲はどのようなプロセスを経て作られたのですか?
J : レコーディングを開始した頃はまだ曲を書いている段階だった。だから基本的には、リハーサルの場所に行って、アレンジを考えて、そしてそれを書き留めていた。それから歌詞を見て、その曲に合ったいいテンポを考え、クリック音を入れてみる。そして billy がギターやベースやボーカルを適当にプレイしてみたりした後で、俺がその曲でドラムを叩く。その後でちゃんとギターとベースとボーカルを入れた後で、最初に入れたギターとかは全部消すんだ。これってすごくいい作業方法で、ドラムに関していえば1日おきにほぼ1曲が完成するって感じだったんだ。だから作業がすごく速く運んだもんだから、ドラムも1ヶ月もかからずに録り終えちゃったんだ。それにそのうちの15日間っていうのは、スネアとバスドラの音を決めるのに費やしたんだよ。alan ( moulder )と俺はすごくいい関係にあるんだけど、俺達は、部屋のあちこちにドラムを移動して、ドラムをセットするのに最適な場所を見つけるのに5日間か6日間ぐらい費やしたんだ。違うサイズのバスドラも試してみたし、シンバルも色々と試してみた。そして確か7種類か8種類ぐらいのスネアをレコーディングには使ってみたんだよな。それってすごく退屈なプロセスなんだけど、自分はドラムのトーンに関しては本当にプロフェッショナルな人間だと思っているから、自分の心に響くような音を得るために何でもやってみたよ。それってほとんど不可能なことだって分かってるんだけど、もの凄く長い時間をかけた。(スネアドラムを置いて叩いては取り替え、叩いては取り替え…を繰り返すジェスチャーをしながら)「ダン、ダン、ダン!」って感じで何時間もだよ。そして戻ってきて「コリャダメだな」って感じでまた移動さ。「ダン、ダン、ダン! ボン、ボン、ボン!」。それって本当に骨の折れることだった。でも一度いい音に乗っかっちゃうと、後はただレコーディングに向かうだけだったよ。

K : pumpkins 時代とドラムセットは変えましたか?
J : ちょっとだけね。そんなに変えてないけど。ちょっと小さくなったよ。いくつか左側にあったタムを取っ払っただけさ。もっとグラス(ドラム)を試してみたかったんだよ。そしてベルとかホイッスルとか、トライアングルとかタンバリンとかティンパニーとかタムなんかがなくても同じパワーを得たいと思ってたんだ。 pumpkins では曲によってはエレクトリックなものもあったから、そういったドラムキットを展開させてたんだけど、 zwan ではレコーディングで使っているやつしか使ってないし、今すぐに他のものを追加しようとも思わないよ。もし次のレコードで使うんだったらそんなものをまた使い始めるかもしれないけど、基本的に小さいドラムキットが好きなんだ。そんな大きなドラムキットをツアーで持って回るなんていい考えだとは思わなかったし、とにかくそんなものは使わなかった。俺がスタジオで使ったドラムはそれだけだし、俺に今必要なものは全て揃っているしね。きっともうちょっと小さいドラムキットでプレイすることにこだわっていくと思うよ。なぜならうちのバンドには3人ものギタリストがいるしね。ギターの音がかなりの割合を占めているから、彼らにショーを引っ張っていってもらうのが居心地いいんだ。それに対して pumpkins にいた時には、来る日も来る日もただ単に叩きまくっていただけだったし、それが全てだったからね。それってまるでコアなブルースバンドみたいなもんだったよ。

K : どうして yamaha のドラムを選んだんですか?
J : 連中が世界で最高のドラムを作っているからさ。

K : なんとなく、ジャズドラマーが yamaha を選んで、ロックドラマーは pearl とか tama を選んでいるような気がするんですが。
J : そいつらはゴミだよ。連中のドラムは賃金の安い国で大量生産されているんだよ。 DW とか tama とか pearl ってのは、自分達でドラムを作ってすらいないんだよ。連中はドラム工場からドラムを買っているだけなんだ。俺は yamaha に所属しているアーティストを知っているし、俺はそこで20年間も働いている人達のことを知っているし、俺は俺のドラムを作り上げてくれている人達全員のことを知っているし、俺はその人達と個人的にも知り合いだし、 yamaha と俺とはもの凄くいい関係にある。俺はジャズをベースにしたプレイヤーだからジャズドラムを叩くわけだけど、そのジャズドラムを俺はロックバンドで叩いているだけなんだ。 hagi (ハギワラさん)を含めた yamaha にいる人達っていうのは本当に素晴らしい人達なんだよ。本当に俺に対して素晴らしい仕事をしてくれているし。俺が yamaha を訪ねた時、俺は完全に吹っ飛ばされてしまったんだ。俺は本当に yamaha のサウンドが気に入っているし、 yamaha をより良くしたいと思っている。 yamaha は素晴らしい家族のようなもんだよ。アメリカのドラムの会社じゃそんなことはあり得ないよ。 yamaha の人達はそれを35年にも渡ってやり続けているんだ。連中は天才的だよ。 hagi っていう yamaha の中心的な人物は、俺のショウにもしょっちゅう来てくれている。彼とはいつも電話で話したりするような間柄なんだけど、長いことかけて一緒にスネアドラムを開発しているんだ。そんな2人の関係って本当に凄いだろ。 dave weckl , elvin jones や steve jordan といった yamaha と関係を持っているドラマーはみんな世界で最高のドラマーばかりだよ。 joey kramer も yamaha のドラムでプレイしてたんだ。でもこれからは yamaha でプレイしないってさ。 yamaha の人達は aerosmith にドラムセットを売ることに興味がないんだよ。彼らは最高に才能ある人達にしか興味がないんだ。だから彼らが俺のプレイを見に来てくれた時っていうのは、まさに名誉って感じだったね。俺にとっちゃ yamaha の人達は俺のもう一つの家族って感じなのさ。 hagi とは何でも話すしね。yamaha の人達は俺の面倒をよくみてくれるし、 pumpkins を辞めた後でも、 yamaha との関係は完全に強固なまま変わらなかった。それは remo とか zildjian とか vic firth とかいった会社にも同じことが言えるよ。彼らはビジネスの世界で最高の連中だし、俺はそういった人達としか働くことに興味がない。最高のゴルファーになるには最高のゴルフクラブを持ってなきゃだめだろ。最高のドラマーになるには最高のドラムが必要なんだよ。さっきも言ったように俺は yamaha にいる人達のことをよく知っているし、彼らは俺に対して間違ったことは何もしたことがない。そしてきっとこれからもそうさ。

K : 現在メインで使っているスネアドラムは、あなたのシグネチャーモデルですよね?
J : そうだよ。

K : どんなスネアでプレイしているのですか?
J : 5.5" * 14" のスティールシェルのやつでプレイしているよ。古い ludwig black beauties みたいな感じのやつさ。 ludwig black beauties はすごくいいスネアドラムだと思うんだけど、 yamaha はそれよりもいいドラムを作る技術を持ってたんだ。そして連中とそのスネアドラムを作ったんだけど、 ludwig よりもいいね。まさに俺の求めていた音が鳴るんだ。ちょっと hagi との関係の話に戻るんだけど、ドラムのことに凄く詳しい彼は、気軽に電話なんかで話せるような人でもあるんだけど、そこで自分がどんな音を求めてるか言うとするじゃない。そうすると、日本に来た時にはドラムを準備して待っててくれたりするような人なんだよ。「あなたのために作ったんですよ」ってことで音を鳴らしてみるとまさに求めていたものだったりする。本当に素晴らしい音が鳴るんだよ。 yamaha の工場には今まで3、4回行ったことがあるんだけど、すべてのドラムはそこで働いている25人の人達によっていつも作られているんだ。俺がプレイしたきた全てのドラムは彼らによって作られたのさ。どこか別の国でシェルを買い付けている DW のような会社を訪ねたとしても、どうやってそのシェルを作っている人に会えるんだい? yamaha と俺のような関係をどうやって築くことができるんだい?それは絶対に無理だよ。 yamaha だとね、電話で話して、日本に来て、 yamaha の工場に行ってさ、欲しければそこで自分のドラムを作る事だってできるんだぜ。俺は彼らにドラムの作り方を教わったからやり方は分かるんだ。世間には失敗作みたいな最低のドラムを叩いている有名なドラマーがたくさんいるんだよ。ほんと最悪のドラムだよ、最悪の。まさにゴミみたいな音がするんだ。……ごめんよ。

K : ウッドシェルのスネアではプレイしていないんですか?
J : ウッド?うん、レコーディングでは使ってるよ。レコーディング中にはかなりたくさんのウッドシェルのスネアを使っているな。ウッドシェルだと、ちょっと抑制されたような、それでいてより深みのある音が出せるからよく使うんだ。でもライヴでプレイする時は、ラウドでビシっとした音の出るスネアを使うのが好きなんだよね。だからずっとスティールシェルのスネアを使ってるんだけど、でも俺は50以上のスネアを持ってるんだよ。もうあらゆる種類の、例えば試作品とか、あとは凄く古いドラムとかを持っている。色んな音を出したいから色々と違った種類のスネアを使うんだけど、でも今じゃ yamaha 以外のドラムは考えられないね。もし60年前に俺が生きてたら多分別のメーカー名の入ったドラムを使っていたかもしれないけど、今じゃ yamaha でほとんど事が足りているよ。特にライヴにおいては本当に yamaha しか使っていない。最高の職人によって作られたものだし、そのドラムをプレイしていると彼らの愛情も感じられるんだ。「ボン!」って感じで、いつも完璧なんだよ。

K : MSOTS をレコーディングしている時、曲ごとにスネアドラムは変えましたか?
J : スネアドラム? いや変えなかった。でも例えば world goes around とか lyric とか settle down 、それから cast a stone (アルバム未収録)なんかでは yamaha の manu katche モデルのスネアを使ったな。 honestly とか el sol とかいったもうちょっとソフトでポップな曲には yamaha のブラススネアを使った。 desire では、神保彰モデルを使ったんだけど、神保彰って知ってる?
K : はい。
J : うん、彼のモデルをその曲では使った。それから後は何を使ったか思い出せないな……確か yamaha の recording series ってやつを of a broken heart で使ったよ。単純にブラシの音が良かったからなんだけど、その曲の時には丸1日かけて20種類のスネアドラムを試してみたんだよ。

K : ドラムを一生叩き続けたいと思いますか?
J : Yeah !
K : 素晴らしい!
J : 今年75歳の elvin jones はツアーに出ているし、78歳の roy hanes だってツアーに出ている。90歳になった jimmy chamberlin だってきっとツアーに出ているさ。
K : (笑)
J : いや、他に何もできないからさ。今から大工仕事に戻ることはできるかもしれないけど、基本的に俺はドラムを叩くことしか能がないんだ。俺はそういう一途な道を行くのがいいと思ってる。俺の妻や娘にそういう姿を見せるっていうのはすごく重要なことだと思うんだよ。子供が、ある種の正直さ (integrity) と自尊心 (self-respect) と規律 (discipline) と責任 (commitment) とを持って仕事に打ち込む両親の姿を見ながら育つのはいいことだと思うんだ。人生で重要なことは、正直さと自尊心と規律と責任だよ。いい家庭っていうのはそんな風にして築かれると思うんだ。

K : お勧めのCDは何ですか?
J : ドラマーが聴くべきお勧めCDかい?そうだなぁ、1964年の bill evans trio のアルバムかな。 larry bunker がドラムのやつさ。 miles davis とか jimmy cobb もいいし、それから art blakey とか john coltrane とか tony williams とかのならどれを聴いてもいいね。特にロックに関して言えば、 tony williams lifetime なんかはどうだろう。 allan holdsworth や tony newton 、それから tony ……思い出せない……おぉ、 alan pasqua だ。キーボードを弾いていたのは彼だったな。 tony newton と tony williams 、それから allan holdsworth だ。 tony williams lifetime のファーストアルバム「 believe it 」は本当に素晴らしいよ。それから、 miles davis が亡くなった直後に作られた miles へのトリビュート盤で、 tony williams 最後のレコードがあるんだけど、トランペットに ronnie wallace が参加しているやつね。 tony williams 、 ron carter 、 herbie hancock 、そして ronnie wallace ……マジで素晴らしいよ。それから kenny clark ……偉大なドラマーはいくらだっているさ。現代にだって素晴らしいドラマーはそこいら中にいるんだよ。 tool の danny carey なんかはとんでもないドラマーだよね。80年代の終わりから90年代の初めにかけて、 pumpkins や nirvana 、それから jane's addiction や alice in chains や soundgarden が出てきた時なんかは、 steve perkins (jane's addiction) とか自分とか matt cameron (soundgarden) みたいなドラマーが、ドラマーがドラマーらしくプレイするのを再び可能にしたんだ。いわば本当に最初の……それまでは REM みたいなポップなのばっかりだったから……。でもグランジのようなものが出てきてからっていうのは、俺達は至る所でクレイジーな、70年代の led zeppelin とか deep purple とかの時代に戻ったような感じでみんなに捉えられていたんだよね。それはグランジが、70年代のロックをベースにしてすべてを再構築したからなんだ。つまりギターソロとかでかい音のドラムとかさ。俺が思うに、自分の魂を込めれば誰だってドラムはプレイできると思うし、他人とは違うサウンドが得られるはずなんだよ。出したい音さえあれば、それは聴くに値するもののはずなんだ。俺は violent femmes のドラマーが大好きで、本当に驚くべきドラマーだと思うんだけど、人によっては彼のドラムは大したことないって言うんだけど、俺は彼のドラムに本物のソウルを感じるんだ。革新的なドラマーっていうのは誰でもね、例えば james brown のバンドのドラマーとかさ……こんな感じでドラマーのことだったら一晩中でも話しちゃうけどさ……。とにかく、俺が最初の方に話したレコードが俺にとっては最も重要なレコードだね。 elvin jones が得たようなパワーを得るのが俺のプレーにとっては重要なんだ。そういった連中っていうのは、ドラムの演奏方法を根底から変えてしまったわけで、俺みたいな人間がドラマーとしてやっていくことを可能にしてくれたのはそういう人達だったんだよ。連中が俺に家を買い与えてくれたのも同然だよ。本当にそう感じているんだから。ガキの時にそういった音を聞いてなかったら、絶対に金の稼げるドラマーなんかにはなれなかったよ。だからそういった人達は本当に凄いと思うんだ。また hagi の話に戻るけど、 hagi は elvin jones の親友なんだけど、俺が13の時なんかには、そんな連中の中に入ったり、 elvin jones と実際に会ったりすることは全く考えられなかった。今じゃそういった人達っていうのは、すごく近づきやすくって、友達になるために誰に対してもオープンに接してくれるってことに気が付いたんだ。彼らは人にドラムを教えたがっているし、音楽をより良いものにしたいと考えている。それってまさに俺自身が一番やりたいことなんだよ。みんな俺のドラムを聞いて、そしてインスパイアされたら最高だなと思っている。そして後ろ向きじゃなくて、前向きに一歩でも進んでほしい。もっと素晴らしいドラムの音が聴きたいんだ。そして俺は今からあと20年はドラムを叩き続けて、年を取ってもいつものやつをプレイしていると思うよ。

K : 最近の若い人達の中に、注目しているドラマーはいますか?
J : 若いドラマーはあんまり知らないんだよなぁ。うん、あんまり知らないね。ラジオを聞かないしね。 danny carey は俺と同じぐらいの歳だと思うし、 matt cameron も俺と同じぐらいだよね。いつも聴いているやつは昔のドラマーばっかりだからさ。名前は挙げられないよ。俺自身ポップミュージックを作っているからラジオもつけないしね。 art blakey しか聴かないな(笑)。(この時、丁度 BGM が art blakey でした)

K : あなたのファンと、若いドラマーへメッセージを下さい。
Dear fans of Zwan...
Dear Drummers...

K : これで終わりです。ありがとうございました!
J : ありがとう!


全く予定外にロングインタビューとなってしまいましたが、インタビュー後 jimmy も自分も緊張の糸が切れたように「ふぅ」と息をついて、その後硬い握手をさせていただきました。師匠と握手をしたのは久し振りだったのですが、とても感動的なものでした。インタビュー中、yamaha の事や jazz の話をしている時はかなりエキサイトされまして、言葉尻もちょっと強くなったりしていましたが、決してネガティブなものではなく、現在の状態が非常に良いもので、更に色々やりたい事が実現できて心から喜んでいるという印象を受けました(message board にも書きましたが、途中他ドラムメーカーに関して厳しいお話をされていますが、このインタビュー前に自分が yamaha ではないスネアドラムを持っているという話を jimmy にしたので、ま、あまり気にしなくていいかと思ってます/笑。逆にドラム雑誌のインタビューではなかなか聞けない話なので、敢えてそのまま掲載いたしました)。後々「クリニックをやるかも?」「アメリカのラジオインタビューで教則本を書いている(らしい)と言っていた」という話も聞き、どうやら教育方面にも着手し始めたようです。一瞬意外だとも感じてしまいましたが、もともと練習に練習を重ねてここまでの地位を築いた「努力の人」でもありますし、それを若い世代に引き継ごうという考え方は自然であり、きっと pumpkins 時代はあまりにも時間がなく出来なかった事がようやく出来るようになったという事なんだと思います。 本当は、もうちょっと別の内容…例えば、車の話やプライベートについても聞こうかと思っていたのですが、何しろインタビューシート作成中音楽の話だけで20項目ぐらいになってしまい、更に質問を紙に書き上げている最中、なんでか込み上げてくるものがございまして(笑)一度作業が中断してしまったりもしました。なので、結果今回は音楽の事を中心に「まず聞きたい事」を質問してみました。個人的には、やはり「一生ドラムを叩き続ける」という言葉を聞いてかなり感激しています。pumpkins 解散から2年以上が経ってその間廻りの環境も随分と変化しているので、同時に考え方も変わってきた様ですが、嬉しい「宣言」でした(笑)。個人サイトの為に、約1時間語り続けてくれた jimmy chamberlin に心から感謝しています。 JC website を作った時は、まさかこんな事が出来るようになるとはこれっぽっちも思っていなかったのですが、地球の裏側のちっぽけな国のファンサイトを気に止めて下さっている事に更に感謝でございます。

Thank you very very very much, Jimmy!!!
また、”英語さぁっぱり”無能 webmaster の、「翻訳してくれ」という無謀なお願いを引受けて下さった burpsonline の Kats さん、本当にありがとうございます。

- 2003年2月 KIKU (JIRO)


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